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アッサラム 2

アッサラーム No.2

1976年12月5日発行

★ 礼拝(サラート)について    ハジ・ムハムマド・オマル 三田了一

★ メッカへの道(1)         ムハマド・アサッド

★ われわれは、なぜイスラームに帰依したか   「イスラーム・アワ・チョイス」より     ハジ・ムハムマド・オマル 三田了一

 

★ 礼拝(サラート)について    ハジ・ムハムマド・オマル  三田了一

イスラームは、その名称が意味するように、アルラーを信奉し、その意志に服従帰依し、すがりきる教えで、日常正しく礼拝をささげることによって、誰でも容易にその道を成就でき、到達することができる教えです。 聖クラーンの中でも、かれをしてアルラーに帰るよう全巻を通じて教えられております。すなわち、わたくしたちの罪や、足らぬ点、いき過ぎたことなどを悔い悟り・不断にアルラーのふところに帰ることです。アルラーは決っして天にいます離れた存在ではなくて、いつもムスリム(イスラーム教徒)と一緒におられ、いつでもどこでも、わたしたちの言行を見ておられ、祈りを聞きとどけてくださるお方で、ムスリムの友であるとのことがしるされています。

ところが人間は、とかく目前のことにとらわれ、いつもわたしたちを親身に、寸分のぬかりもなく終始しておられるアルラーの大恩に慣れて、日々忘れがちであります。そこで不断にアルラーに近づき、心にとめておくよう導びかれているのです。礼拝(サラート)はすなわち、その域に達する道に導くためのもので、イスラームの五行の中の最大の行で、謙虚なムスリムは毎日五回の礼拝の時刻を待ち、慎しみ、楽しんで、精魂を打ち込みながらアルラーのみ前に立つのであります。イスラームの礼拝(サラート)の特徴は、現実にすぐなんらかのご慈悲があらわれることであります。礼拝により、ひょいと思いもかけぬ叡智をたまわることはだれもが経験することですが、力も強くさずかり、それが身体の内にみなぎり溢れ、時には異常な興奮さえ覚え、あるいは神意にふれておもわず涙が流れる、等々の体験もするものです。

礼拝(サラート)は真剣な行でありますから、夫婦の場合を除いて、男女が同列に礼拝をささげることができないのはご承知のとおりであります。礼拝(サラート)をささげるには、精神を打ち込むことが第一であります。ひとたび礼拝に立ったならば、アルラーに一辺倒して、雑念などが頭の中をかすめてはいけないように教えられています。心ゆくまで、満足に礼拝をささげおおせるよう、工夫努力を続けなければいけません。

聖予言者ムハムマド(かれの上に平安あれ)が礼拝に立たれた時に、あんな几帳面な人ですから、想像できないことですが、帯が解けたそうでして、周囲に並んでいる人達は、前が見えるようになっているんじゃないかと心配したそうですが、そんなことには頓着なく、礼拝をまっとうされたそうです。本当に真剣に礼拝をささげておられるあらわれと思うのであります。

アラビアでの礼拝の時には、うまく精神が集中しないとか、あるいは、祈りが聞き届けてもらえなかったとかというようなことは、沐浴の際に精神が入いらなかったせいだとか、あるいは、カーバ神殿の前に出たつもりで精神を打ち込めばいいんだとかというふうに、形の方から強調し、導かれている場合がおおございまして、これらのことも大変大事なことでもっともなことですが、われわれの場合は、クラーンの文句が、わたしどもにピンとこないせいか、心と唱えることや動作との間にどうもしっくりしないような間隙ができる場合が多いので、私自身も各礼拝ごとに点数をつけて、反省して次第に向上するようにして来たつもりですが、なかなか満足するまでには到りません。

やはり、お互いに自分達の経験を話しあって、練りあって有効な道を開いていくことが必要だと思います。

礼拝の心得について書いてありますように、これがこの世の最後の礼拝だというふうに考えて行うのも効果があると思いますし、私自身も、頭が二億光年先のアンドロメダ星雲に届いたように感じて、本当に神の中に入いり込んだつもりで礼拝をささげるとか、まあいろいろ工夫をしているのでありますが、どうも思わしい成果を得るに到りません。まあ、各自がそれぞれ工夫しておられるでしょうから、お互いに経験を話しあって、私どもが、せっかくささげる礼拝が、アルラーに少しでも近ずき、聞き届けられるように、お導きを願うより他はないのであります。

それから礼拝の準備の基礎をととのえる問題に入いりましょう。まず沐浴(ウドゥ)ですが、アラビアでは、水を得ることがたいへん困難なことでして、そのため、準備の根本問題である水のことについては非常に多くのスペースをさいて、こまかく教えられております。まあ日本ではどこでも、水道さえひねればいつでも用をたせるわけですが、実に精細に規定されております。中国なんかでは、礼拝堂には必ず湯わかし所がありまして、いつでも条件にかなった水がありまして、自分の好みの温度にして沐浴できるようになっております。これは、寒い国でありますし、それと水がなかなか得難いものですから、礼拝堂でそれほどの設備がしてあるわけなんです。おそらく中国のイスラームは、中央アジアから渡って来ましたから、ソ連でも同じようにやっぱり湯を使っているんだと思います。

それにしても皆さん方も、現地で見られたように、一つの習慣があるんですね。実に器用に手を洗うし、やっぱりそういうようなことも、われわれは参考にすべきだと思います。ほんとうに精神を打ち込んで、アルラーをたたえながら、沐浴(ウドゥ)の一挙手一投足をやっております。顔を洗うのでも、浄めるというような気持で、やっておりますし、充分に両手を洗い、口をすすいだり、鼻を洗うことがアラビアでは沐浴(ウドゥ)の中心になっておりますね。そういうことで、沐浴それ自体の考え方も、わたしたちがよく考えなくてはならない点があると思うのです、次に、やはりスーラトゥル・ファーティハや、クラーンの最後にある短い章を二つ三つ暗記することが必要だと思います。これはムスリムたる者がどうしても努力して、ものにすることが必要です。

わたし自身、いまでも町中へ出る往復の電車の中で、クラーンの章を暗記する努力をしていますが、各章は、各自が努力さえすれば容易に覚えられるようにできていますから機会を得て、正しい発音を同僚なり、外国から来ているムスリムの人に尋ねて、自然に身につくように努めることがたいせつでしょう。

同時に、その意味もよく理解しなければならないと思います。承知のように、トルコの革命の際、ケル・パシャが、アラビア語がトルコの発展のために、負担になりすぎているというので、アラビア語を.やめて、ローマ字にして、礼拝の際もトルコ語を使うという形にかえました。しかし、結果的には、今日ではローマ字は残っておるようですが、礼拝はやはりアラビア語で行なわれているようです。

初心者には、アラビア語で礼拝をするということは、むづかしいことで、一朝一夕にはできません。覚えてしまうまでは、イスラームの指導書にも書いてあるように、スブハーナ・アルラー、スブハーナ・アルラーを繰り返し唱えて、それにかえる他はありません。

次に、礼拝のささげ方ですが、私自身、今努力しておりますのは、スーラトゥル・ファーティハを唱えるにしても、非常にゆっくりとした調子で、一語一句を自分の魂に刻みつけるように、ゆっくり唱えることです。

マスジッドで、イマムが指導して、皆でいっしょに捧げる時は、その通りに従がうほかありませんが、自分自身でやる時は、さっき申しあげたとおり精神を集中するための手段として、実践しております。

なかんずく、姿勢には、特に注意しまして、サジタの時には、手を広く、広げて、腹を下に押しつけるようにして、背筋を反対にそり、スブハーナ・ラッビア・ルアアルラーをくり返し、息の続く限り、一つのサジタに打ち込むことにしています。

サハバ物語にあるように、サジタの姿勢でスブハーナ・ラッビア・ルアアルラーを何回もくり返しているうちに、背中にスズメがとまっておったというような事実も記録されておりますが、それほど心ゆくまで、アルラーに帰ることができるように、工夫をして、せっかく捧げる礼拝が、少しでもアルラーに受け入れられるように努力しなければならないと思います。

私自身の場合には、非常に老齢になって、自分の思うように体が動かなくなっていますもんですから、骨格でもなんでも縮むばかりになっておりますが、今のように手を広げて腹を下に押しつけるようにしますと、胸をせばめるような危険もなくなって、体育にも応用できるわけですから、いろいろ工夫して努力してほしいものです。

それでスーラトゥル・ファーティハにしても、唄える文句にしても、語感やなにかを身につけるのは、日本人にとっては、やはり相当むずかしいものですから、日々努力をする必要があると思います。カーバの神殿で、キブラに、蛾のようにへばりついてお祈りをしている人々は、アルラーにお祈りを聞き届けてもらおうというわけで、事実その努力は大変なものですが、各自思い思いに、それぞれ大きい声で、お祈りをやっております。その時、スーラトゥル・ファーティハを唱えながら、ワンワンないているのを見たことがありました。それほどありがたいファーティハ、クラーンの全巻の精髄がもられているファーティハ、それを唱えるのに、その深遠な感じが私どもに反映しなければいけないのですが、どうも私どもは、そこまで容易にいきませんです。やっぱりこれは、意識的に自分のその時の気持で日常の一刻一刻を守っていただき、至大の慈悲をたまわっている現実に対して、感謝し、そのありがたさに涙を誘うような気持で唱えなければいけないと思います。

時には、自分が犯した罪とか、大恩とかというようなことに対し、アルラーにお許しを願うというようなつもりで、いつも意識的に工夫するというのが、一つの策だと思います。ただ口先で唱えているだけでは、なかなかやっぱりわたしどものアルラーをたたえる感じがでてこないのです。やはり.計画的にそのような気持にもっていくような努力が必要であると思います。

最初申し上げたように、礼拝には、慈悲のあらわれがあるんだというようなことをいいましたが、その慈悲のあらわれは、力みかえっているような時には、出てこないですね。すべての条件がアルラーと一致して、自分が意識しないときに、慈悲のあらわれがあるようです。

日本では、私自身はあまりそういうことは経験しませんが、むこうにいった時には、環境のせいですか、カーバの神殿にいたせいか、まったく意識しない間に、いろんな慈悲のあらわれがあるんですね。ですからやはり、さっき申しあげたように、努力をかさねて、それが身について、力みかえらなくても、アルラーにかえれるよう努力せねばならないわけです。しかし、その努力をしたからといって、アルラーの慈悲がすぐあらわれるというようなものでもなくて、やはりアルラーのお導ちびきと助けによるものです。

お祈りにしても、やさしいことから祈るんですね。たとえば、明日のファジルの礼拝の時に目をさまさせていただくようにとか、自分の祈りやすいことからお願いして、それが実現した時には、感謝をささげるというふうにして、次第に自分自身でねってゆく必要があります。それから大事に望む時には、礼拝をささげてから出かけるとか、なかんずく、深夜の礼拝(タバジウド)の時には、クルアーンの中にも、うしみつ時の礼拝は特にアルラーに聞きとどけていただけるというように書いてありますし、皆さんのようにイスラームに精進しておられる方は、私ども同様、タハジウドの礼拝はささげたいですね。聖予言者は、夜の三分の一も、二分の一も、あるいは、それ以上の時間をさかれて礼拝されていたそうですが、ふつうは、三ラカートするのが通例のようですね。そう時間はかかりませんから。以上で礼拝(サラート)については終りますが、次にズィクル(唱念)のことを少しお話ししたいと思います。

ズィクルは、礼拝後、スブハーナ・アルラーを三十三回、アルハムドゥリッラーを三十三回、アラーフ・アクバルを三十四回、つごう百回唱えることになっておりますが、非常にむこうの人は、短時間ですまされるようですが、私どもとしては、回数は少なくてもよいから、スブハーナ・アルラーと、アルラーの恩恵に対して感謝することを五回でも十回でも精神を打ち込んで唱えて、それからアルバムドゥリッラー、これはアルラーの本性に対して感謝をささげるわけのものでありますから、私どもが、こうして生かしてもらっておることに対して、またその他あらゆる自然の恩恵に対して感謝するつもりでアルバムドゥリッラーと唱えたいものだと思っております。それも心から、神に通ずるように唱えるべきだと思います。その時の事情により、三回づつでも、五回づつでも、十回づつでも精神を打ち込んで唱えるべきだと思います。

それからイスラームでは、礼拝とズィクルと最後に祈りがありますね。祈りはだいたい三番目になっております。祈りはやはり大事なことでありまして、私どもが祈らなくても、アルラーは、ご存知でありますが、自分自身に深く言い聞かせ、口の中で、真剣に祈らなければいけません。正当な祈りなら必ず聞き届けてくださるわけでありますから、日常生活が、私どもの祈りの通りになりますと、それはもう非常な幸福ということになり、すべての祈りが満足にアルラーに聞きとどけていただけるまで、努力しなければいけないと思うのです。まあ以上がだいたい私のいわんとする概略であります。

 

★ メッカへの道 (1)        ムハマド・アサッド

われわれ二人のラクダの旅は続く。頭上の太陽は燃え、ものは、すべて光の中でキラキラと輝く。赤やオレンジの砂の丘がどこまでも連なり、孤独に燃えるような静けさが続く。らくだの泳ぐようにゆれる足取りにさそわれる睡気。その睡気の中、時の流れも、太陽も、熱い風も、そして長い旅すら忘れてしまうような気がする。砂丘には、まばらな草むらがあり、あちこちにねじくれたハムドゥのやぶが、でかい蛇のように砂の上をはっている。意識はねむけしかない。あるのはただラクダのざくざくとふみつける砂の音、膝頭にあたる鞍の金具の音だけ。太陽と風を防ぐ頭布でおおわれた二人の顔、まるで私達二人は、手でもさわれるかのような孤独を背負っているような気がする。

そしてその孤独を越え、渇ける者に水を与えてくれるタイマの井戸を目指して二人は進んでいる。

「ヌフゥドのすぐ向う側がタイマである…。」

私は何か声をきいたような気がしたが、夢なのか、私の連れの声なのかはっきりしなかった。「ザイド、お前、わたしに何か言ったかね。」「ええ、タイマの井戸を見るために、ヌフゥドを越えてまで行くというもの好きな連中は、そうめったにいない、と言おうとしたのです。」と連れが答えた。

ザイドと私はナジド・イラク国境のカスル・アサイミンからの帰りであった。同地にイブン・サウド王の招待で行っていた私は、自分の任務をおえ、私の自由になる暇ができたので、南西約三百キロをへだてた奥地にある古代のオアシス、タイマを訪ねてみることにした。

旧約聖書の中に出てくるタイマについて、イザヤは次のように言っている。「タイマの土地の人々は、渇ける者に水を与えり。」

タイマの水の豊富は、アラビアでは、比べるべきもないほどのものであり、この地は、イスラーム以前にキャラバンの一大根拠地となり、初期アラブ文化の中心ともなっていた。私は前々から、この地方を見たかった、そしてこのたび、キャラバンの通るまわり道をやめ、中央アラビアとシリア砂漠の高原に広がる広大な砂漠で、道のない荒野である大ヌフゥドの心臓部を直接渡ることにした。このものすごい砂漠に道らしいものは、もちろんのこと、目標とするものさえ、なにもない。風は人や動物の足跡を即座に消してしまい、痕跡らしいものは、まったく残らない。風の流れは、砂丘の大きさや形をたえずいろいろとかえる。丘は谷にとけていくし、谷はまた、乾燥してしまってラクダさえ、苦く感じる草が、まばらにはえた新しい丘にかわってゆく。

私は前にもいくどかこの砂漠を横切ったことがあったが、人の助けを借りずに渡りきる自信はなかった。そこで、ザイドがいっしょにいたことは幸いであった。この地方は彼の故郷なのである。彼はシャッマル族の出身で、この部族は大ヌフゥドの南から西の端に住み、雨季の時には、この砂漠が水々しく柔かい牧草地にかわる。そこでシャッマル族の人達は、自分のラクダに草をくわせる。

ザイドには、砂漠の血が流れ、彼の心はその血とともにゆれ動く。私が知っているなかで、ザイドはおそらくもっとも端正で立派な男である。ひたいが広く、体のほっそりした中背で、がっちりした骨組の体に力感を感じさせるような持主であった。彼にはベドウィンの血とナジドの都会風の感覚とがたくみにまじりあい、ベドウィンらしい本能の正確さはあるが、ベドウィンにつきもののむらっ気はなく、町の人らしくよく気がつく男であった。しかもそれでいて世間ずれはしていない。また彼は、イラクやエジプトにもいたことがある。そして五年前から彼は私の連れであった。

さて、一九三二年の晩夏、私達は過去にもしばしばそうしたように、ラクダに乗って、砂丘にはさまれた孤独の道を歩んでいるのである。私達は、昼の礼拝のために休息し、顔や手足を皮袋の水で浄める。その時おきたことである。数滴の水が私の足元にあった酷暑に黄色くしぼみ、生気を失なっている草むらの上に落ちた。水が葉をつたわり、しぼんでいたのが、まずふるえ、それからゆるやかに律動しながら葉を開きはじめた。さらに数滴水をたらす。

「あっ」その小さな葉はざわめき、体をよじり、やがてゆっくりと、ためらうように頭をもたげるではないか。私はかたずをのみ、さらに数滴をそそいだ。草はよりすばやく、もっと激しく、いきいきと、あたかも隠された力が、死の夢からそれを突き上げるかのように躍動した。こうして、一瞬まえの死に、目に見えるような熱とカにみちあふれた生がよみがえったのである。その一つの命の尊厳は、それ自身、万の理屈を越えていた。」

生命の尊厳…砂漠の中では、常にこのことを実感する。ここでは、生命を保つことすら非常に困難である。それは、常に一つの授かり物であり、宝であり、そして驚異なのである。砂漠は常に驚異にみちている。その厳しさと空しさを知りつくしたつもりでいても、時には、これが夢から目をさまし、息をすって、そして、知らないうちに柔かい黄緑色の草が、きのうまで砂だらけだったところに、はえてくる。一群の小鳥が空をかける。どこから来て、どこへ行くのだろうか。

砂漠は時に黒いざらざらした熔岩だったり、時には果てしない砂丘だったり、時には荒涼たる丘陵にはさまれたフーデイ(谷間)だったりする。また、まわりのヤブから驚いたうさぎが、旅人の前を疾走したり、かもしかの足にゆるんだ砂の跡があったり、遠い昔、とっくに忘れられた旅人が使った黒く焼けこげた石が残っていたりすることもある。ステップには、苛酷な陽に打ちひしがれた孤独が見舞う。アカシアが一本、青い空に枝を伸ばしている。トカゲが一匹、石垣の隙間から現われ、目を左右に配り、そして幻のように消えてゆく。決して水を飲まないといわれているトカゲである。

ラクダの群れが、昼すぎ、半日がかりで家路に追われる。裸のラクダに乗った牧童が、家畜を呼ぶ。その声は地上の静寂に呑まれ、こだまは返らずに大気がふくれる。時には地平線遙かに、輝くような影を見る。雲であろうか、ひくく漂よい、しきりに色と所を変える灰褐色の山に似ている。そしてそれがしだいに低くなり、その水面に揺れる山や木を映している湖や川に変ると、私達はすぐ正体を知る。ジンのしわざ… 蜃気楼である。それはしばしば旅人に偽りの希望を抱かせ、破滅へ導く。その時、彼の手は無意識に、あわれにも鞍に乗せた空の水袋にふれているのである。

部族間に、もめ事がある時の砂漠の夜は、危険にみちている。そのような時、旅人は夜中、火をたくわけにはいかず、膝にライフルをはさんだままで目を開いている。しかし、平和な時は、長く寂しい旅のあと、キャラバンに出合い、夜火のまわりに集まった屈強な日焼けした男達の話に耳を傾けることができる。生と死、飢餓と飽食、肉欲とその慰撫、戦争、遠い家郷のナツメヤシの林、話題はそういった生活に直接に結びついたものばかりである。

そうだ、ここ砂漠では、人は無駄話を聞くことも、しゃべることもできないのだ。(次号へつづく)

著者紹介今回から、かってベストセラーになったムハムマド・アサッド(レオポールド・ワイス)氏の「メッカヘの道」を連続シリーズとしておくります。ムハムマド・アサッド氏を簡単に紹介すれば、本名はレオポード・ワイズと言い、一九〇〇年にリボ(オーストリア、後にポーランド)で生まれ、二十二才の時、中近東を訪ずれ、その後、フランクフルト新聞の特派員として活躍。ムスリムになってからは、イスラーム世界を見て回り、著名ないくつかの本をあらわしている。この「メッカヘの道」も、その中の一つである。現在、ムハムマド・アサッド氏は、イスラームにおける著名な学者として有名である。

 

★われわれは、なぜイスラームに帰依したか

 「イスラーム・アワ・チョイス」より) ハジ・ムハムマド・オマル 三田了一

アルラーのおかげで、私は非常に幸せなムスリム生活を送っております。イスラームが教える正しい道を、私はパキスタンからタブリーグのために日本を訪れた方々におそわりました。かれらに私は深く感謝しております。

日本では、多くの人は仏教信者であります。しかし、かれらは名前だけの仏教信者です。仏教を信じていながらも信者らしい生活をおくっているわけではありません。このかれらの仏教に対しての冷淡な態度の主な理由としましては、仏教は仰々しい大げさで複雑な哲学だけがあって実利的な面においては、人に与えるものはあまりないという事実でしょう。普通の日は、日常の仕事に忙しく追われてしまって、宗教を理解したり、実行したりできないでしょうが、イスラームはこの面におきましては、大変単純で、まっ正直で、実行しやすい宗教です。

イスラームの教えでは、人生のすべての面にわたって細かく規定され、人の考えを純化し、それによってただちに正しい行いができます。イスラームは、誰でもが理解できるほど単純でやさしく実用的であります。他の宗教とちがって、イスラームには僧職というものは、まったくありません。日本におけるイスラームの将来は、たいへん明るいと思います。少しむずかしい点もあるでしょうが、解決できないほどのものはございません。

まず最初に日本の方々にイスラームの教えを実際に知らせるため、確固たる活発な努力をする必要があります。今の日本の人々はだんだんと唯物主義的になりつつあります。そしてかれらは幸せではありません。かれらに本当の平和や満足は、人生におけるすべてのおきてを有し、そして人生を指導できる宗教であるイスラームにあると説明する必要があります。

次にイスラームの仕事をする人々は、自分自身の生活が、イスラーム法にしたがった方法でなされなければなりません。残念なことには、日本へ勉強しにこられているイスラーム圏の留学生の方々は、この面におきましては、あまり模範的ではないようですので、かれらからは、何らかのアドバイスや指導を受けることは期待できません。かれらのほとんどが西欧化した生活をおくっております。かれらは、自分の国で、植民地時代に西欧がたてた学校や修道院で教育を受けた為、イスラームについてあまりくわしく知らないのです。

もしイスラームが日本で普及するとすれば、イスラームを愛している皆さんが、この問題をよく考えて、イスラームのために、もっとも誠実で、真摯な努力をしなければなりません。イスラームの真の信者の生活は、他の人々の模範となるべきものです。このような人が、できるだけ多く日本を訪れて、日本人に、イスラームを教えることが必要です。日本人は、今、平和や誠実、忠実や高潔、つまり人生における最善のものに渇きを感じています。そして私は、かれらのこの渇きをイスラームでしか満たすことができないと確信をもっていうことができます。われわれが、この仕事を成功させるためには、アルラーへの完全な信仰が必要であり、アルラーにこのような信仰を与えて下さるようお祈りしなければならないと思っております。イスラームの意味は、「平和」であります。そして、日本人ほど、平和を必要とする民族はないでしょう。

真の平和は、われわれが平和の宗教を信ずれば、おのずとわれわれに訪ずれるでしょう。人間に対しての平和、そして神に対しての平和…それはイスラーム信者が皆兄弟であるというイスラーム特有の原則を守り、そしてその中にこそ人類の救いがあると思うのであります。

宗教には、強制があってはならぬ。

まさに正しい道は、迷誤から明らかに分別される。

それで邪神をしりぞけて、アルラーを信仰するものは、決してこわれることのない堅固な取っ手を握ったものである。

アルラーは、全聴者、全知者であられる.

   クラーン第二章二五六節

注①「剣かコーランか」と、イスラームは武力によって布教されたかのように、悪宣伝をする者があるが、元来(イ)宗教は信仰と自由意思によるべきで、およそ強制は意味がない。(ロ)真理と迷誤が開示されて、善意の人には信仰の基礎が理解できるので強制の要はない。(ハ)神の保護は無尽で、人びとは暗黒から光明に向かって、剣とはいささかの関係もなく不断に導かれている。

注②「取っ手」は危険にさいし安全のために握る、綱・ハンドルのようなものである。すなわちわれわれの信仰と意志がそれで、神にかたく信じすがっていれば、神の加護が下ることは間違いない。