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使徒

4.使徒

至高なるアッラーがその被造物に使徒たちを遣わされたことを、我々は信ずる。

『(アッラーが) 使徒たちを福音告知者、警告者として遣わされたのは、人類が使徒たち(の派遣)の後にアッラーに対して申し開き出来ないようにするためである。アッラーは偉大な英知者におわします。』(クルアーン第4章〔婦人〕165節)

また、最初の使徒がヌーフ(ノア)であり、最後がムハンマドであることを我々は信ずる。

『我ら(アッラー)は、ヌーフと彼以降の預言者たちに啓示を下したように、汝にも啓示を下した。』(クルアーン第4章〔婦人〕163節)

『ムハンマドは汝らの誰の父でもない。彼はアッラーの使徒であり、預言者たちの封印である。』(クルアーン第33章〔部族連合〕40節)

使徒のうちで最も優れた者はムハンマドであり、次いでイブラーヒーム、ムーサー、ヌーフ、イーサー・ブン・マルヤムの順であり、彼らは至高なるアッラーの御言葉の中に特記されている。

『また我ら(アッラー)は預言者たちと契約を交わした。我らは汝(ムハンマド)、ヌーフ、イブラーヒーム、ムーサー、イーサー・ブン・マルヤムらと厳かに契約を交わしたのである。』 (クルアーン第33章〔部族連合〕7節)

ムハンマドのシャリーアがこれら特別な恵みを受けた使徒たちのシャリーアの持つ徳を内包するものであることを、我々は確信する。

『彼(アッラー)はヌーフに命じ給うたものを汝らの宗教と定め給うた。それは我らが汝に啓示し、またイブラーヒーム、ムーサー、イーサーに「この宗教を守り、そのことで分裂してはならない。」と命じたものである。』 (クルアーン第42章〔相談〕13節)

また、使徒たちは皆、被造物たる人間であったに過ぎず、一切の「神性」を有しなかったことを我々は信ずる。至高なるアッラーは最初の使徒であるヌーフについて、こう仰せられた。

『私(ヌーフ)はお前たちに、私がアッラーの宝物を所蔵しているとも、幽玄界のことを知っているとも、また私が天使であるとも言わない。』 (クルアーン第11章〔フード〕3節)

またアッラーは最後の預言者ムハンマドにも次のように言うよう命じられた。

『私はアッラーの宝物を所蔵しているとも、幽玄界のことを知っているとも、また私が天使であるとも言わない。』 (クルアーン第6章〔家畜〕50節)

『アッラーがお望みにならない限り、私には自分を害することも益することも出来ない。』 (クルアーン第10章〔ユーヌス〕49節)

『私は汝らを害することも導くことも出来ない。言え。「誰も私をアッラーから護ることは出来ず、またアッラーの御許以外に避難所を見いだすことは出来ない。』 (クルアーン第72章〔ジン〕21-22節)

また彼らがアッラーの忠僕であったことを我々は信ずる。至高なるアッラーは彼らに使信の祝福を授けられたが、彼らを褒め称える最高の賛辞としてアッラーは彼らを「僕」と形容しておられる。

アッラーは最初の使徒ヌーフについて仰せられた。

『我らがヌーフと共に選んだ者の子孫よ。まことに彼は感謝の念篤き僕であった。』 (クルアーン第17章〔夜の旅〕3節)

また最後の使徒ムハンマドについても次のように仰せられる。

『万世に対する警告者とするため、その僕(ムハンマド)にフルカーン(正邪の基準)を下し給うた御方に称えあれ。』 (クルアーン第25章〔識別〕1節)

また他の使徒たちについても以下のように仰せられる。

『力あり知恵に秀れた我らの僕イブラーヒーム、イスハーク(イサク)、ヤァクーブ(ヤコブ)のことを思い起こせ。』 (クルアーン第38章〔サード〕45節)

『力ある我らの僕ダーウードのことを思い起こせ。まことに彼は悔悟して主に立ち帰る者であった。』 (クルアーン第38章〔サード〕17節)

『我らはダーウードにスライマーン(ソロモン)を授けた。なんと優れた僕であるか。彼は悔悟して主に立ち帰る者であった。』 (クルアーン第38章〔サード〕30節)

またイーサー・ブン・マルヤムについてもこう仰せられる。

『彼は我ら(アッラー)が恩恵を施しイスラーイール(イスラエル)の子らへの模範として遣わした僕に過ぎない。』 (クルアーン第43章〔金の装飾〕59節)

また、至高なるアッラーの次の御言葉により、アッラーがムハンマドを人類すべてに対して遣わし、彼の派遣をもって使徒の派遣を完了されたことを、我々は信ずる。

『言え。「人々よ。私は汝らすべてに対して遣わされたアッラーの使徒である。天地の主権は彼に属し、彼の他に神はいない。彼こそ生と死を授け給う御方。それゆえアッラーを信じよ。そして、彼とその御言葉を信ずる文盲の預言者である使徒(ムハンマド)を信じ、彼に従え。おそらく汝らは正しく導かれよう。』 (クルアーン第7章〔高壁〕158節)

また、至高なるアッラーの次の御言葉により、使徒の齎したシャリーア(聖法)とは、至高なるアッラーがその僕らのために嘉し給うたイスラームの教えであり、至高なるアッラーはそれ以外の宗教を誰からも受け入れ給わないと我々は信ずる。

『まことにアッラーの御許の宗教はイスラームである。』 (クルアーン第3章〔イムラーン家〕19節)

『今日、我らは汝らの宗教を完成し、恩恵を完全なものとし、汝らの宗教としてイスラームを嘉した。』 (クルアーン第5章〔食卓〕13節)

『イスラーム以外の教えを好む者が受け入れられることは決してない。彼は来世において失敗者の一人となる。』 (クルアーン第3章〔イムラーン家〕85節)

キリスト教やユダヤ教などイスラーム以外の宗教が(イスラームの使信が宣べ伝えられた)今日なおアッラーの御許で受け入れられると主張する者は、悔悟を求められるべき不信仰者であり、もし彼が悔い改めない場合には、背教者として処刑されねばならないと我々は考える。彼はクルアーンの御言葉を虚偽としたからである。

また、ムハンマドの使信を信じない者は、その者が信じ従っていると称する使徒をも含めてすべての使徒を信じていないことになると、我々は考える。なぜならば至高なるアッラーの御言葉に 『ヌーフの民は使徒たちを詐欺師と呼んで拒んだ。』(クルアーン第26章〔詩人たち〕105節)とあり、アッラーはヌーフ以前にはまだ使徒が遣わされていなかったにも拘わらず、ヌーフの民をすべての使徒を拒んだとして非難しておられるからである。また至高なるアッラーは次のようにも仰せられる。

『アッラーとその使徒たちを信じず、アッラーとその使徒たちを分離させようと欲し、「我々はある者は信ずるが他の者は信じない。」と言い、その中間に道を求める者こそ真の不信仰者である。我らはそのような者に恥ずべき懲罰を用意しているのである。』 (クルアーン第4章〔婦人〕150-151節)

また、ムハンマドの後にもはや預言者はなく、彼の没後に預言者を自称する者及びその者に従う者は誰であれ不信仰者であると、我々は信ずる。なぜなら彼はアッラーとその使徒、ムスリムの合意に背いているからである。

我々は、このウンマ(宗教共同体)には預言者の後に正しく導かれた後継者(正統カリフ)が続き、(シャリーアの)知識、宣教、信徒の統率において彼を継承したことを我々は信ずる。また我々は、教友の中で最も優れ、カリフの地位に最も相応しい者は「篤信者」アブー・バクル、次いでウマル・ブン・アル=ハッターブ、ウスマーン・ブン・アッファーン、アリー・ブン・アビー・ターリブ –アッラーが彼らをすべて嘉されますように-であったことを信ずる。

このように彼らにはカリフ位において順位があったが、徳においてもまた同様であった。英知に満ちた至高なるアッラーが、最善の世代である教友たちの教導を、より秀れ、カリフの地位により相応しい者を差し置いて他の者に委ねるようなことはあり得ないのである。

彼らのうち下位にある者が特定の徳において秀でることがあっても、それによってその者がより徳の高い者より総体的に優れていることにはならないと我々は信ずる。徳には多様な要素があるからである。

また、このウンマが人類最高の共同体であり、畏くも貴きアッラーの御前において最も誉れ高い民であることを、至高なるアッラーの御言葉により、我々は信ずる。

『汝らは人類の中に現れた最善の共同体であり、善を命じ悪を禁じアッラーを信仰する。』 (クルアーン第3章〔イムラーン家〕110節)

また、このウンマにおける最良の世代は教友の世代であり、次いでそれに続く世代、次いで更に彼らの次の世代であると我々は信じ、畏くも貴きアッラーの命が下るときまで、このウンマの中に、真理の大道にあって勝利し、離反者たちが決して害することの出来ない選良の一団が絶えることのないことを信ずる[xi]。

また教友たち-アッラーが彼らを嘉されますように-の間に生じた内戦[xii]は、イジュティハード[xiii]をめぐる解釈の相違に由来すると我々は考える。イジュティハードを行う者はその緒果が正しければ(来世で)2つの報奨を戴けるが、間違った場合でも1つの報奨を授かり、犯した誤りも赦されるのである。

また、教友たちの悪行を暴き立ててはならず、むしろしかるべき賛辞こそ彼らには相応しく、心を清めて彼らの誰に対する中傷、悪口も慎まねばならないと我々は考えるが、それは次の至高なるアッラーの御言葉による。

『汝らの中でも勝利の前に財産を費やして戦った者は(他の者たちと)同列ではない。彼らは後になって行った者より高位にあるのである。しかしアッラーはどちらにも良い報奨を約束された。』 (クルアーン第57章〔鉄〕10節)

『彼らの後に来た者たちは言う。「我らが主よ。我らと我らより先に信仰に入った同胞を赦し給え。我らの心に信仰する者への憎しみの念を起こさせないで下さい。まことにあなたは寛大にして慈悲深き御方におわします。」』 (クルアーン第59章〔集合〕10節)